magcupの日記

何でも引き付けるカップ、magcup

父の葬儀(3)、通夜

一級葬祭ディレクターが来た! テレビドラマで大村崑さんが誇らしげに言っていたあの一級葬祭である。
C.小山さんとおっしゃる女性の方。今日はお通夜当日の打ち合わせである。最初の人たちに比べて大分てきばきした感じでビジネスライク。これから二日間にわたり、彼女と式を進めて行くのだ。

 
朝一で駅前のホテルを出立、JRに乗って実家の次の駅で下車し、Nak村外科を探す。結構、駅から遠くて往生した。9時から開院と言うことらしいがちょうどに到着。支払いの2万7千円を立て替えた。ご愁傷様くらいは言ってくれても良いのにと思った。再び電車に乗って自宅前の駅で下車。Aベルの人(三人目、一級葬祭Dの小山さん)を待つ。昼食は朝買ってきたパンと、家にあったプリンなんかで簡単に済ませた。
ふぃ遺体の出発は二時頃。リムジンなので二名が一緒に乗車可である。家の者を乗せることにして、自分と義母(亡父の再婚相手)はその後、戸締りをして葬儀場へ向かう。三時頃より葬儀場で湯灌の儀式の予定。
ストレッチャーが縦長で仏間まで入らないので、布団を縦に折って両側を持って玄関まで運んでストレッチャーに乗せた。次にそのストレッチャーごと、玄関、門扉を出て道路に置いてある台車に乗せ、それを車に収納。
以下、小山さんと打ち合わせたこと:

  • タクシーチケット(10枚)を1冊貰う。タクシー代はタクシー会社から直接、集金されるとのこと。
  • トータルの費用は70万(酒代は予想額)、但しタクシー代、お寺代は含まず。
  • お斎の席次のチェック、それぞれの関係を伝えて、どちらが上座かどうかをチェックして貰う。
    • 告別式のお斎の人数(料理の数)は、通夜が終了して八時までなら変更可。実際、亀4⇒3に変更(奥様が欠席)になった。
  • 式の予定表(タイムスケジュール)を貰う。
  • 火葬場まで近いので、出棺後、希望者は全員で火葬場まで行き、火葬開始を見届けて一旦、式場へ戻ると言うことになった。その後、火葬終了の連絡が入ったところで、お斎を抜けてお骨拾いに行くと言うスケジュール。母親がまた甥御さんに手伝わせようとするので謝絶、直系が行くものだからと伝えて納得して貰う。小山さんに、骨上げは三名であると念を押す。
  • 喪主のスピーチ(4回)のうち、どれが一番重要か、聞いて見る。小山さん、即答で、通夜のときのものが、普段会われない方も来るので重要とのこと。逆に出棺のときなどは寒いので手短にとのこと。

(後記)
母親から実家の合鍵を預かった。靴べらに三本ついている。車庫用(車は既になし)と玄関用。もう一本は不明。(後記)あとで仕事場の近くの合鍵屋に見て貰ったら、「うち二本は合鍵、同じ鍵」だとのこと。よって、異なる鍵2本について、さらに1本ずつ合鍵を作製。


遺体を乗せたリムジンが家の者二名を連れて出発後、母親と戸締りをしてバスで葬儀場へ向けて出発。雨が強くなって来た。控室の奥の和室で湯灌を始めるとのこと。湯灌の方式が三通りあるとのことだが、一番普通なのはどれか聞くとシャワーだと言うのでそれを選択。湯船が運ばれてくる。末悟水の儀式(78年に自分の母親が亡くなった際は病院で担当医師の元で行った)を行い、その後、シャンプーと髭剃り。シャンプーは自分の手でも少し洗ってあげた。その後、手甲、きゃはんを付け(立て結びにするらしい)、杖、頭陀袋、六文銭(紙製)を入れ、三角布は表情が変わるので装着せず、足元に置く。そして納棺。
その後、小山さんが見えられ、棺を式場へ運んで良いかどうか、また、式中でなくとも、見えられた人にお顔を見せて良いかどうかの確認。また、窓を開けっ放しにすると温度が上がってしまうのでそれは止めた方が良い。ろうそくは12時間くらい持つが、通夜後の早朝には消えているかも知れぬので交換の手順を聞く(結局、早朝、家の者が替えてくれた)。お花は自分と親族を入れて6本出た。仕事場から4本。一番高そうなのが「上の方」から来ていた。小山さんにお花を並べる順番をどうするか聞かれる。これも上座下座を聞いて並べて貰う。

5時半過ぎ、住職が見えられたので、Aベルでお茶を出したあとに挨拶に伺う(そういう手筈をAベルの小山さんから既に聞いていた)。費用の明細を貰い、また、住職にはお斎には出られない(通夜振る舞いには出られた)こと、お礼参では今後(納骨等)のことを話すとのこと。

通夜は滞りなく済み、戒名の説明は残念ながらなかった。確かに七文字で白木位牌上にはキリーク(阿弥陀如来)の梵字、誉号は享誉、戒名は賢祐善、そして位号は信士。

通夜の挨拶では、父の生前の趣味や活動(夜釣りや、バイク、社会活動)などを紹介し、退職後、これまで好きなことをやってこれたのはみんな、義母とそれを支えてくれた親族の皆様のおかげであります、と持ち上げた。その後、お通夜振る舞いに入り、まず方丈様にノンアルコールビールを注いで、「自分の母親と祖母、そしてKちゃんと、これまで三人もお世話になりました、特に母の葬儀のあとには先代の方丈様が自宅までバイクで毎週来られてお経をあげて下さり、私もお茶など出して差し上げました」とお話した。先代が亡くなられたのは八年前とのこと。Kちゃんの葬儀(2012/05)の際は既に亡くなっておられた。

そのあと、多少酔っぱらって、Sちゃん(叔母)に通夜での挨拶に関して「俺もずいぶんとずる賢くなったものだろう」と言った気がする。また逆に、「何か遺言でもなかった?」とSちゃんから聞かれ、「もう、昔から全部ほいと言ってあるから」と言うと、「そうらいね、あんた自分の(マンション)あるしそれでいいんだよ、そして、だからあんなににこしてるんだわ。これがそうでなかったら、、、、」。さすがSちゃん、スパコンの速さである。


皆さん帰られたあと、残った食事を少しいただき、部屋にも運んでで貰い、シャワーを浴びてお酒をさらにいただいて就寝。明日は礼参もあるので飲めない。