magcupの日記

何でも引き付けるカップ、magcup

Kちゃんの法事

Kちゃんの法事、一周忌があった。今回は日帰り。
Kちゃんが結婚してから七年間住んだ大きな屋敷を大きなトラックに乗って一家そろって出て行き、新天地で生活を始めたのは昭和40年のことである。末の三女が生まれる一年前のことだ。大屋敷に住んでいた頃は、大旦那に「いずれは屋敷の半分を与えるから貯金などしなくても良い」と、結婚式の翌日から奥様は一ヶ月三千円の給料で働かされたとのこと。Kちゃんと奥さまと合わせて一万三千円である。普通の自転車に大旦那が原動機を取り付けてバイクに仕立て上げ、それでリヤカーを引いて配達に行った。
うまく行こうと行くまいと、売れようと売れまいと、全員が汗を流して働いているという状況を好んだ大旦那のことであり、当時、未だ高校生だった長女から先頭になって、茶碗売りや炭売りで働いていたこともあって、誰も不平を言わなかった。
しかし、そういう中で、Kちゃんは人に使われていてはだめだと言うことに自分で気づき、ついに屋敷を出た。大旦那が無くなって二年、結婚(昭和33年11月12日)して七年目のことである。
Kちゃんが生前、未だ元気だった頃に聞かされた話がある。自分に一対一で話してくれた。

生活に不満はなかったけれど、俺が一万の給料で働いているときに、兄貴が百万のライカのカメラを買おうとしているのを見て、これではだめだと思った

とmagcupに、さしで話してくれた。何かの宴会だったか、どこで言われたのかは思い出せない。
今回初めて話を聞いたのは、引っ越してすぐに一軒家を建てたのではないということだ。最初に六部屋のアパートを建ててそのうちの一部屋に自分たちが住んだ。当時、1963年にそのアパートからほぼ三キロくらいのところに、公立女子短大が開学したことで、その学生の下宿を見込んだのである。「短大生から高い金は取られない」と言って相場よりも安く貸し出して、繁盛させて、またそうやって土地やアパートの費用を返済していったのだ。

▽新しいお墓にお参り。三つのお墓がZ寺に並ぶことになった。

 
▽お斎のメニュー。

 
メモ:持参モバイルは、Willcom nine+と、仏語辞書入りのE6-00と、めぞん第三巻仏語版(コミックなので、Juliette je t'aimeではなく、Maison Ikkoku。登場人物も原作通り)。帰りに、駅ナカタケショウのしょうゆの実を三袋購入。


(後記)2021年9/15(水)記。(父の想い出)法事の十日ほど前に、父親から、Kちゃんの法事について、問い合わせのメールが来ている。
この頃、またY屋の親戚付き合いに復帰するようになったようだ。おそらく、父も義母(父の再婚相手)も、そしてS子伯母も「もう親戚付き合いを止める」などと言っていたことをすっかり忘れたのだろう。

Kさんの一周忌について
510 2013/04/19 18:56
magcup 殿
新学期で何かと忙しい事と思います。当方年相応のボケで毎日を過ごしていますので、心配なく
過日、S子さんから電話が有り4月28日に敬治さんの一周忌を行いたいが、都合はどうか?電話がありました。二つ返事で承知しておきました。
都合だけの問い合わせのようだったようで、改めて時間と集合場所の連絡が来るものと思って居りましたがいまもって連絡がないので心配してます。当方のボケで失念したのかも?
その折、君からも出席して貰いたいので、magcupさんに直接電話してもよいか聞かれたので OK しておきました故、君に問い合わせれば時間と集合場所が判るのでは?
(実家2)の地震被害の状況が判らず案じてます。合わせて返事を貰えれば、幸いです
〇〇〇ー g31004@nifty.com

(後記)2022年10/15記。スマホSH-m03の写真を発掘。

左側はWさん、Eちゃん、Sちゃん、Sさんの挨拶、右側は秀雄師、そしてもう一方。

 

墓前での読経。2018年4/29(父親は間に合わず、ホテルのお斎に直行した)

 

秀雄師ともう一方どなただろう。仙台の是秀師が無くなられてから8年以上になる

 

手前にEちゃんとSちゃん、左奥にHちゃんが見える

 

大きな遺影を持参すれば、正面に掲げてくれると言うこと?

 

本堂全体の写真







(父の想い出)
続き(2)はここ。