magcupの日記

何でも引き付けるカップ、magcup

(父の想い出)長野の善光寺参り

別にお参りに行ったわけでは無く、アマチュア無線の国家試験を受けに長野まで、電話級(4級)と、電信級(3級)とで都合二回も行ったのである。1976年の春と、1978年の春だった。一回目のときは何とか日帰り出来たのだが、二回目は試験の時間の都合だったのか、どうしても現地で一泊せざるを得ず、ビジネスホテルを予約して貰ったのを覚えている。ホテルや国鉄の切符の手配は全て父にやって貰った。仕事の後、新潟駅まで行って買って来るのは今考えても大変(車を駐車場に入れないといけない)であろうから、きっと、川端町の会社の近くの古町通の交通公社(JTB)か何かに電話で予約し、手下のOLを出向かせたに違いない。
ともかく無事に信越線で往復し、ホテルの宿泊も無事に出来た。どういう電車に乗ったのか、特急だったのかとか、何を食べたかなども全然覚えていないのだが、電信級の試験を受けたあと、蔵春閣から駅まで戻る途中の善光寺にお参りし、真っ暗闇の回廊を手探りで回る「お戒壇巡り」なるアトラクションを楽しんだのを覚えている。

試験は無事に合格したのだが、その数か月後、母親が白血病で急逝し、父も尿道結石で入院(手術直前に石が出て事なきを得た)したり、大変なことが立て続けにおきたが、幸いなことに、自分の体も心もそういうことに十分耐えられる年頃になっていたのが不幸中の幸いだった。これがもう数年前だったら、一体全体どうなっていたことか、、、、。


現在、長野行きの電車を乗換案内で調べると、一番速いのは高崎周りの新幹線。そして、一番安いのは高速バスである。当時、信越線経由でどういう風に長野まで行ったのか、路線の一部が廃止・第三セクター化した今、皆目、分からなくなってしまった。妙高とか赤倉とか言う特急に乗って行ったのだと思うのだが、、、。

(後記)3/21、AmazonKindle版の復刻版時刻表'80を購入。それによると、急行赤倉は一日一本で、新潟(0913)発で、長岡を出て宮内(通過)から上越線と分離して、柏崎、直江津妙高高原、長野(1258)、と約三時間半ちょっとで行っていたらしい。終着は名古屋。
現代だと、高崎周りの長野新幹線で2時間ちょっと、上越妙高経由で北陸新幹線で3時間ちょっと、そして圧倒的な安さで高速バスが三時間半なので、もし今、中高生だったら、バス利用だったに違いない。
それから、中学三年のときに日帰り出来たのは、試験時間の関係(電話級は実技がないので短い)だけでなく、急行赤倉の便数も一日一便ではなく、もっと多かったせいではないだろうか。