magcupの日記

何でも引き付けるカップ、magcup

(父の想い出)裏金

物騒なタイトルだが、生前、父が「J社長に言われて、俺は裏金を作ってトランクに詰めて新幹線に乗って東京に行って金丸幹事長に渡して来た」と話していたのを、当時未だ半パヨだったmagcupが、へーと聞き流していたのをはっきりと覚えている。「せっかくあれだけの金を持って行ったのに、金丸さんは、紙袋をちらっとだけ見て、あ、そこに置いといて、しか言わないんだよな。菓子折りか何かと思われてんじゃないかって新;杯だったよ」、残念ながら肝心の金額については聞きそびれた。数百万ではないだろう。


金丸信さんが幹事長だったのは1984年10月~1986年7月であり、東京佐川急便事件の裏金による失脚が1992年8月(その際は、副総裁)であるので、magcupが未だ東京で下宿して居た頃の話である。父は「大変な任務(笑)で東京に行ったんでお前にも連絡は取らなかった」と言っていた。当時は未だ中選挙区制であり、また、政党交付金も整備されておらず、膨大な選挙資金が必要とされ、会社や選挙民を巻き込んで大変な時代であった。


J社長はK知事(1989年に病気で辞任)と音楽などの趣味(両人とも、音楽は趣味レベルを超えていたが)を通じて大変懇意にしていたので、そのつながりもあるのだろうし、その会社が、単なる商社、と言うより「政治家を動かして仕事を作り出して職人を集めて」と言う風な、小さいながらもプロジェクト志向の会社であった。現在もJさんのご子息R社長が頑張っておられる。忘れないうちにメモして置く。