中学生のとき、苦手だった社会科の先生に「日本地図や世界地図を暗記して描けるようにしておくと理解が進む」と言われ、授業で易しい書き方を教わった。日本地図は、左下に九州の正方形を書き、その右に四国の平べったい箱、その上に中国地方と、右に繋がり、上に延びる本州、そして、その上に北海道の菱型(magcupは出身が新潟なので佐渡島も描いた)。世界地図も同様に、一応書けるようになった。残念ながら、それで社会科の点が上がることも終ぞななく現在に至ってしまったがそれはそれ。
で、最近、中東問題でシーア派スンニ派とか、ワッハーブ派とか、サウジとイランとか、日本人には知識不足の上に全く理解の及ばない話に直面するようになって、ちょっと辟易していたところ、あるイラストにお目にかかり、数十年前の記憶がハッと蘇ってきた。
記事は、
日経ビジネス・オンライン2018年11月1日(学び直し! 「明日」に役立つ世界史講座>トルコvsサウジvsイランの三国志)
「サウジ建国の歴史と、英米介入が招いた対立」(茂木 誠)
である。茂木誠さんは超々有名予備校の講師で、彼の描いたと言うか、「サラサラっと書きなぐったメモイラスト中東地図」がとても分かりやすい。「ああいう風にまとめると頭に入るのだ」、と言うことまで分かるスゴイイラストである。
第一次世界大戦後、オスマントルコ(オスマン帝国)が滅亡して小さなトルコ共和国となった後、アラビア半島を席巻し始めたサウジ(原理主義的なワッハーブ派)の拡大を恐れた英国が、まるで満州国をいくつも作るように、サウジの周囲に小国群を建設し牽制させた。一方、米国はそのサウジの孤立に目を付け、石油資源と引き換え(ロックフェラー)に擁護を約束した。米国はさらに、ペルシャ(ゾロアスター教、七世紀にイスラム帝国、13世紀にモンゴル帝国、14世紀にチムール帝国、16世紀にサファヴィー朝、その後、オスマン帝国と対立して混乱)の末裔で、シーア派が多数を占めるイランでも、パーレビ国王(=パフラヴィー)を立てて石油資源を抑えたが、結局すぐにイラン革命(1979)でその利権を失ってしまう。その後も大使館占拠事件とかがあったので、おそらく対イラン問題は、米国民にとってパールハーバー並の嫌悪感がある。
サウジアラビア側の視点だと、周りの小国(イエメン、オマーン、UAE、カタール、バーレーン、クェート、イラク、ヨルダン)は全て英国による傀儡であり、だから討伐して良い国々と思って対立している。一方、それらの小国らはイラン側にすり寄ることでサウジを牽制する。また、イランに対しては、国境付近でサウジ領内のシーア派民が居るところに石油資源が大量にあるため、対イランの境界は絶対に動かせないと思っていて対立している。
だから、サウジアラビアは、米国が、ちょっとでも対イランの敵視政策を緩めると、まるで、北朝鮮制裁を緩められた日本のように怒るらしい。