magcupの日記

何でも引き付けるカップ、magcup

セーキョー組織部を辞めたわけ

25年前くらいだろうか、大学生協の組織部(関東では学生委員会と呼ばれていた)に一ヶ月の間だけ入っていた。最初、ただの委員になるはずだったのが、毎週一度の会合に出るだけで二万円近くのバイト代が出ると言われ、その給料に釣られて組織部をやってみることにしたのだ。英国での生協の成り立ちを描いた、「ロッチデールの先駆者たち(Rochdale Pioneers)」とかいう本を読んで涙が出るほど感動したり、上の先輩にちょっと気に入られて、栄養士さんを招いた栄養相談会や、映画上映の企画を立ち上げたりもした。栄養相談の報告会で上の人が作った報告書を棒読みしてしまって苦笑されたり、映画上映ではまじめな映画だけでは誰も来ないから抱き合わせにすべき、と主張したりもした。周りの多くの人と違うことをやっているのが何かしら充実感があった。「セーキョーはね、」と、一文字目にアクセントを置く普通とはちょっと違った「セーキョー」の発音で、他の人に説明するとき、自分が組織に「飲み込まれている」のを自覚しながらも、優越感があった。
しかし、勉強や趣味のサークル活動で、忙しかったのと、学生委員会自体のちょっとおかしい部分がいくつか目に付いて、一月分の給料を貰った日以降、ぷっつりと行くのを止めてしまった。というのは、ある週の昼休みに、小さな集会を開くことになったのだが、参加者全員に弁当を支給すると言う。「ただ飯が食える」と是非、自分も毎日参加しようと思い、初日の会合に顔を出したのだが、長引きそうなのと、雰囲気が真剣なので、続けて出ようかどうしようか迷ったあげく、面倒になって結局出ることはなかった。
その週末のことだ。委員会の部屋で自分と同じ年の誰かが一方的に責められているのをちらっと見た。どうやら、その誰かは、自分と全く同じことを考えた上、一週間皆勤してしまったらしい。一週間分の弁当くらい、笑って叱られる程度だと思ったが、どうも雰囲気が違う。自己批判させろ、とか、どうにもついて行けない言葉が飛び交っている。そのとき、洗脳から、ふっと目が覚めた瞬間をはっきりと覚えている。「目が覚める」という、とても貴重な経験をさせて貰ったことは大変ありがたい。
ところで、ひと月分の給与をしっかり貰ったあと、組織部にしばらく行かないでいると、一度だけ電話がかかって来たり、別のサークルの先輩で同じく組織部に入っている男子学生で先輩のSさんから「顔を出してよ」との伝言があったりしたが、「とても忙しいので、すみませんが、、、」と断ると、それ以上何か言って来ることは無かった。どうして止めてしまったか、事情、と言うか自分の気持ちを正直に打ち明けることは無かった。数十年後の今、Sさんは文化放送で活躍していらっしゃるのだが、今度お会いしたら是非話してみたい。