magcupの日記

何でも引き付けるカップ、magcup

仙台葛岡霊園にお墓参り、霊園内マップ

お彼岸も近いうえ、ちょうど出張のなかびの日曜で仕事も空いて同行の人たちはどこかへぶらぶら遊びに行くと言うので、自分は独りで葛岡に墓参に行くことにした。と言うのは、その昔、二十年くらい前にだいぶお世話になった恩人が昨年亡くなった。ご自宅には既に伺い、位牌に線香を上げ、お墓の場所を伺ったので、今回、出張のついでと言っては失礼な感もあるが他に機会もないので前から心づもりしていたのである。
 
問題は、墓地の勝手がまるでわからないこと。仙台にだいぶ長いこと、十年弱の間、住んでいたのだけれど、霊園になど行くことはついぞなかった。仕事で赴任した土地で、縁も所縁もないところなので仕方がない。その上、葛岡はだいぶ大きな、と言うか巨大な霊園で、墓の場所を見つけるのが大変らしい。伺ってあったお墓の番号(O-ost)を手掛かりに、インターネットでいろいろ検索しても、「霊園内マップ」のようなものは一切見つからない。果たして辿り着けるのか、そんな不安材料を抱えつつ出発した。
 
朝8時にホテルを出た。勾当台公園の近くに宿泊していたので地下鉄南北線に乗り、北仙台駅国鉄に乗り換えた。

地下鉄の駅の出口は旅行者やよそ者に対してとても不親切にできていて、乗り換え案内の看板は一切出ていない。地下鉄駅の窓口までとぼとぼ戻って案内を乞うはめになった。

左に進めばすぐ、と言うことなのでちょっと出てさらに左側を見ると、古風な、昔の原宿駅を縦に潰したような建物が見えた。しかしいくらすぐ近くと言っても、出て来た建物の裏側の建物に正確にたどり着くには、案内板が要ると思った。反対側に進んでしまったら絶対に見つからないから。

北仙台駅から仙山線に乗車して、数駅で葛岡駅(くずおか)に着いた。

仙山線は単線であるが、北仙台を始め多くの駅で行き違いができるようになっている。この路線でずっと乗って行って作並まで行けばニッカの宮城峽蒸留所だなや、と思いつ葛岡で下車。

まだ朝早いのか、駅の中にも外にもほとんど誰も居ない。未だ昨日の酒が残っているのか、たいそう喉が乾くので自販機でしじみの味噌汁を購入し階段を降りると、どこかで見た人がずんずん上がってくる。

「あんたこんなところでなにしてん?」、K所長のYさんであった。お住いがこちらなのだろうか、「いえお墓参りで」、と言うと「お墓こちらだったの!!」と、ちょっと驚いたようす。
そう言えばYさんとも仲が良かったことを思い出した。挨拶して別れ、右方向にひたすら坂を登る。年寄りには無理な坂だ。
  
【葛岡霊園案内図】

霊園入り口までようようたどり着くと大きな、古ぼけた案内図があって、ありがたいことに墓の区域図が詳しく描いてある。どうしてこういうのをちゃんとインターネットで公開しないのかね、と思いつつ、案内板を高解像度で撮影して、霊園の中に入って行くと、想像した通り巨大な霊園で、その上、予想以上の「山」である。高低差が半端でない。ふと後ろを見ると、自家用車やタクシーがどんどん入って来る。やはり車でくるものだったらしい。
撮影した案内図で現在地を確かめながらGoogle地図をたよりに向かって一番左側のラインを登って行く。

途中に花屋の出店があったので適当なのを「一向かい」(一向かいは新潟の言い方だった。仙台ではこの言い方は通じない、、、)購入。お線香も太いのを一つ。マッチはサービスしてくれた。
霊園の中の坂もだいぶきつい。年寄りには絶対無理だと思った。それに区域を示す目印が、錆びた小さな看板だけでとてもわかりにくい。

はーはー言いながらようやくO区域に到着。

残念ながら区域内の墓番号の案内図はどこにもない。この中を探し回るのか、と途方に暮れていると、誰かがお参りしているので、「突然失礼いたしますが、」と聞いてみた。
すると墓の番号は土台の正面に青い小さなプレートが付いているのだそうだ。一安心。順番に見ていくと、「やすらかに」と彫られた墓石(O163)がたやすく見つけられた、あぁ良かった。かなり最近のと思われる花が上がっている。脇に持ってきた花束一向かいを立てた。

風が結構強かったので線香に火を付けるのも大変だったが、何とか煙が出た。線香は立てるタイプでなく、横孔の中にある網の台の上に寝かせて置くタイプ。墓石全体に水をかけてやって墓地を後にした。お酒は持って行かなかった。入り口まで来ると、車がひっきりなしに入って来ていた。そういえば今日はお彼岸である。

(後記)あとで、Sさん(スーさん)に話をすると、「え、歩いて行ったんですか?!」と驚かれた。車で行くものらしい。