12/23、暮れも押し迫った日曜の朝、今年の年賀状をどうするか、何枚買うかなど、出張先の仙台から、東京の自宅とLINEでやりとりしているとき、「ちょっと待って」と言われた。実家から電話がかかってきたらしい。
父親が深夜にトイレに起きてそのまま吐血し倒れて亡くなったとのこと(死因は上部消化管からの出血による失血死)。
早朝に発見されるまで時間があったので警察の検分が入った。
とりあえず出張先の荷物をまとめ、一応、実家に直接電話して継母(義母)に「気を確かに」と伝え、今回の出張仕事を完全に片付け、本務と出張先の関係者にメールを打ち、守衛室に入退室カードを返却して宿舎を出発。
ちょうど、仕事上のタイミングで、早朝に起きて朝食も済ませていたのが良かった。駅まで歩き、窓口で8時44分の新幹線に「乗変」して貰い、大宮から家までの切符を購入しようとした。
窓口での対応がありがたく、大宮から先の分を捨てるのではなく、一旦キャンセル(−11,200円)して、取り直し(+19,400円)てくれた。
乗り継ぎはあまり良くないのだが、トータルで3時間40分である。バスよりは早い。
奇しくも祖母が亡くなったとき(2005年12/3)も仙台出張中だった。あのときは大宮廻りと直通バスで二往復した。
駅のホームからスマホでEちゃんに電話。Eちゃんの家の番号は既に変わっていて、携帯にかけてようやくつながった。
「俺どーすればいい?」と泣きつくと、「とりあえず、葬儀屋に連絡」して日程を早急に決めることだと。
大宮で下車。余裕で一本前の上越新幹線に間に合った、でも遅れることもあっただろうから仕方がない。そのまま待つ。駅でSuicaにチャージ。
家には明日、出発できるように伝えると、しかし他の親戚の手前、やっぱり今日中に行ったほうがいいかも、と言う返事。
実家にホームから電話、義母(父の再婚相手)も、先ほどよりだいぶ落ち着いたようで「あなたの意向もあるでしょうし、待ってますから」とのこと。そう言われても自信がない、、、、。
結局、家の者は当日23日夜に来てくれることになった。実家2に相談したところ、やはり行けるのであれば当日に駆けつけた方が良いだろうと言われたとのこと。
夜9時過ぎに駅に到着、自分の喪服や靴まで持って来てくれた、自らの分と合わせて大変な荷物だったと思う。結局、実家までは行かず(下記)に、この晩は駅前のホテルで宿泊。
上越線に乗り換えてから東大畑のSちゃんに電話、「長男だと喪主は普通だけど、それも義母(継母)とよく相談してみて」とのこと。お寺や火葬場の予約もあるので「ともかく葬儀屋と良く相談ね」と。上越新幹線は相変わらずトンネル内WiFi/3Gともに不通だし、コンセントもWiFiも無い、最悪新幹線。
昼過ぎに実家に到着。HさんとNさんの二人の甥御が来ていた。既にアークベルに手配してあって、午後一時過ぎに連絡が来るとのこと。
また、警察の検分について、「警察医」の先生(一般開業医)が検分に来られたそうで、あとで代金を払いに行く必要がある、とのこと。
そうこうしているうちにアークベルの小林(,T)さんという方が見えられた。父も義母も二人ともアークベルに毎月積立てしていたのでここ一択だったらしい。
「喪主はどうする?」と義母(父の再婚相手)に聞くと 「あなたやって」、と言われたので承諾。
決めたこと。一つ一つ、義母の意向を聞き、また、アークベルの人に「普通はどうされるのでしょう」と確認しながら進めて行った。
- 香典返し40個、三千円、葉書代100円
- (後記)余った分は東京へ10、自宅(実家)へ4つ、送って貰った。会場へ来た人に26個配布したことになる。
- 湯灌の儀式は行う。棺が玄関口を通らないので、斎場(親族控室)にて行う。このため、通夜当日は2時に霊柩車で出発する。
- 花(B3)、家から一つ(親類から1つ)、通夜当日に正式発注する
- (後記)何と、仕事場から4つもいただいた。O君が最上層部まで手を廻してくれたらしい。弔電もKさんから頂いた。
- 棺、布引きを選択
- 通夜の受付は開場(5時)の十分前くらいに来て貰いたいとのこと。甥御さんお二人にお願いする。
- 通夜と告別式の日程を25日、26日と仮決めして、お寺に電話で確認。住職は外出中で三時半に戻るそうなので、再度電話。日程はそれで良い、ということなので進めていく。夕方、住職が枕経をあげにくるとのこと。
- ご住職に伺うことをアークベルの小林さんと確認。今日の枕経、全体の日程、葬儀に寺から何名で見えられるか、35日法要(壇払法要)のやり方(出棺をいつにするか)、そして全体の費用。万が一、お気持ちでと言われた場合は、業者に相談すれば相場を提示できる。
- 枕経に見えられた際、費用のことを伺うと「通夜の際にメモを渡す」とのこと。また「戒名は七文字にしてよろしいか」と言われて、拒絶する理由も無く承諾、さてはてどうなるやら。枕経は木魚を使用。この木魚は、母の葬儀(1978)のあと、先代のご住職に言われて父が購入してあったのだった。
- 費用はインターネットで検索した結果よりかなり安かった。通夜8、告別式8+8+1(お布施、ご仏前、棺覆料)、礼参1。一瞬、戒名代は別かと思ったが、アークベルの人は同じような相場を言っておられた。
- 枕経のお礼はアークベルの人は3〜5と言っていたので千円単位かと思いきや、後で聞くと万単位だった。しかし義母(父の再婚相手)は1万のみ包んだとのこと。この点、事前確認を怠り、後で大分あせった。
- (後記)2021年記、義母の葬儀の際にアークベルに聞き直すと、0.5程度が相場で1では多いとのこと。自分の最初の記憶と、義母の記憶が正しかった。
- 葬儀に来られる大体の人数を聞かれ、20人くらいと伝えると住職一人で来るとのこと。タクシー送迎は50分前。壇払い法要は告別式に続けて行い、その後、出棺と言う予定。また、住職はお斎には出られないとのこと(その場合、通常、別にお包みするものであるが、今回は金額を聞いているので言われた額をそのまま包んだ)
- 神棚封じ(アークベル)、は何をするかとおもいきや、白い紙を垂らすだけ。
- 遺体の保存用としてドライアイスや薬剤(別料金)を使う。
- 納骨までの骨壷の祭壇を床の間に作ることを承諾(翌日)。床の間の品物をいろいろどけた。
- 御通夜ぶるまいのオードブルと寿司、そして、お斎の料理と引き出物、引き菓子、おこわ、を選択(当日10時に発注)。酒類は別料金のよう(当日10時に発注、説明なし)
- お斎の席次を作る(御通夜振る舞いは自由席)。お寺1、長4、亀3、松1、中1、女2、青1、東2、家4、出欠は直接電話で、一軒一軒確認した
- 最初、亀4だったのが、お通夜の時点で血圧が高いのでお斎は遠慮したいと言うことで3になった。
- 義母がしきりに家族葬、と言うのであるがその意味は「近所の人を呼ばない。近くの親戚だけ呼ぶ」と言うことだった。最近の世間一般では、家族葬と言うと本当に同居の身内だけなので、言葉に惑わされると大変なことになるところだった。遠くの親戚も自分も含めて呼ばれれば、来る人は沢山居ると思うのだが、義母の意向を尊重。
- アークベルは喪主のスピーチの文例を4枚置いて行った。1.通夜挨拶(通夜振る舞いへ誘導)、2.葬儀(告別式)挨拶、3.出棺挨拶、4.お斎挨拶。
- もっとも重要なのは通夜挨拶だそうだ。親族以外の方は通夜のみに来られることが多いので。
- もう一つ、電話では「どうにも動かれない」、ので通夜や告別式には欠席と言っていた長兄の奥さんが夜、再び電話をかけて来て明日(通夜前日)の午前に伺いたいとのこと。
- 結局、12/24の9時半頃、末弟(彼女の)を連れて、また、息子からの香典を含めて三人分持って弔問にやって来た。一体どういうことなのか、この腹芸は若輩者にはわからない。自分はまるで政治家が言うところの洟垂れ小僧なのか。
七時を回った頃、母親がもう眠たそうなことを言うので、家からの者は実家まで来させず、新幹線駅で待ってて貰い、自分と合流してそのままホテル(東横イン)へ向かうことにする。夕食は、自分は義母(継母)が、向かいのスーパーで買ってきた舞茸ごはんを家でいただいてから新幹線駅に向けて出発、家の者は駅弁で済ませたとのこと。市内でエグザイルのコンサートがあったらしく、ホテルは満室で喫煙ルームしか取れず、消臭スプレーを借りてしゅうしゅうと何回もかけまくった。深夜までコインランドリーで洗濯、乾燥。自分はセブンイレブンで購入したビールを飲んで就寝。
(後記)2021年7/12、叔父の住所の地名をずっと「女」だと思い込んでいたが「弁天」だった。