magcupの日記

何でも引き付けるカップ、magcup

(父の想い出)一人暮らしの四年間

自分が高2のときに母親が亡くなり、大学3年のときに再婚したので、父親は四年間、一人暮らしだったことになる。大学に行くまでは自分との暮らしで、その日その日の準備と、自分の受験の準備に負われて気も紛れていたのだと思うが、本当に独りになってからはどうだったのだろう。
帰省してしばらくは亡母の実家に夕食を食べに行っていたのだがそれも止めてしまったとのこと。「コンビニのおにぎりが旨い」と喜んでいたのを見て、逆にだいぶ落ち込んでいるということが分かり、ちょっと心配になったが、どうすることも出来なかった。
それから少しして、知人の「斎藤栄さん」の紹介で再婚することになったと聞いた。「斎藤栄さん」は三島町の名士で、おそらく社会福祉協議会の方だったと思う。父親の見合いのためにたいそう骨を折って下さった恩人である。

斎藤さん曰く、何のとり得もないただのオジさんが見合いしようとしても、寄ってくるのはみんな「お金をたかりたい人」なのだそうで、話が少し進んで身辺調査をちょっとやると、兄弟が無職など、ボロボロだった、と言うケースばかり、とあとで斎藤さんから聞かされた、「アンタのお父さん、一体、何人と見合いしたか想像つくかね?」。

再婚が決まって、それまで住んでいた家を売却し、買ってあった土地に家を新築して移り住んだ。その際、新築の間取りについて「二階にお前の部屋を用意しておいてやる」と言うので、二部屋作って置いた方が将来、アパートにするにしてもいいんじゃない? と口を挟むと「私の人生なのだから私が決める。お前の人生はお前が決めなさい」と言われたことがあり、元気になったものだとちょっと安心した記憶がある。結局、後で考えると、自分が成人するまで待っていてくれたことになり、今思うと大変にありがたいことだということがわかる。

しかし、それから三年くらいして、会社であまり上手く行かなくなり、給与明細も前年より下がってしまった、と言うことを聞いたのを覚えているのだが状況が思い出せない。さらにもう数年して、今度は完全にリストラされてしまい、亡母の親戚の会社へ再就職することになるのだが、、、。