magcupの日記

何でも引き付けるカップ、magcup

Kちゃんの法事(続き)

前回(2)の続き、Kちゃんの法事
4/29日曜日、Z寺にて法事(七回忌)、御斎はANAホテル

献杯はビール。その後もビール。Sさんが赤ワインを開けていたので「僕にもちょうだい」と言ってしまった。






△しまった、茶わん蒸し、と、デザートを撮り忘れた。
この後、実家の人々と少し話したあと、独り分のタクシーチケットを貰い、駅に戻って乗変して帰京。ゴールデンウィークなのに、新幹線はガラガラ。何ということだろう。
 
おみやげは、老舗の最中としょうゆおこわ。このおこわが大そう美味かった。
 
 
(後記、2019年1月記)(父の想い出)上記の4/29、Z寺の待合室で、これからもうすぐ読経が始まりそうな時間になっても「実家1」の二人、つまり自分の両親がやって来ない。
他の親戚が心配し出す。
ケータイをSちゃんから借りて電話してみると、「大掃除してたところだ」と父親。
法事は明日(月曜、昭和の日)だと思っていたと、ちょっと呆然としているようす。
「大至急来るように、そして、法事は間に合わないから、お斎のANAホテルへ直行するよう」伝える。
結局、お斎だけには間に合い、遅れたことを詫びて宴席に着き、お斎が終わったあとも、Kちゃんの家へ呼ばれて行き、しばらくの間、みなで談笑していたとのこと。
これは半年後、彼が亡くなったときの告別式(12/25)に、従姉妹(J子)から聞かされた。
この一件の後、父の認知症を本格的に疑い出し、新潟の認知症専門家医を検索して、中学校のときの同級生が、みどり病院の副理事長(市原綾子先生)になっていることを見つけ、どうしようか相談してみようかなどと一人で考えているうちに、幕切れとなった。
 
 
(後記、2020年8月記)父親が、がんセンターでの大腸検診で腸管穿孔をやられ、緊急入院・手術となったのは2003年9月2日(火)。
何年か前に盲腸の手術をしたところが癒着して痛んだことによる受診だったらしい。同日午後、義母(亡父の再婚相手)から自宅に電話があった、一二週間の入院になりそうとのこと。手術後、数日して9/6(土)に皆で病院に行っている。父親は、チューブは付いていたものの、話をしたり、何とか一人でトイレに行ったり出来るまでになっていた。
このとき、小型のパソコンVAIO-U3と、PIAFS接続可能なPHSを持参しており、病院からえきねっとで翌日の帰京便(17:18新潟発)を予約。その日は夕飯の弁当を近所で買って実家に泊まったのだが、その夜のことは良く覚えていない。

2003年、父親が医療事故(腸管穿孔)に逢った際の報告書

翌日、再び病院に行ったところ、他の親戚も来ていて、「(我々が)お茶を出すのが遅い」と、義母がいつものようにヒステリーを起こし、我々を「気が利かない!」と大声で怒鳴りつけ、その親戚(義母の妹と義姉)が慌て出したのは忘れられない。特に妹は焦ったらしく、「いつも姉がすみません、姉に優しく接していただいてありがとうございます」、と言うような年賀状が後々まで来ていた。
さらにその後、9/14、退院の日に再度、新潟訪問。東京10:48発、帰路は20:12東京着。義母宛に二通の手紙が来ているのを、退院したばかりの父親が見つけ、「おまえ宛の手紙がお義姉さんと妹さんから来てる」と読ませたのだが、開けてちょっと見ただけで、なんだこれ、と言う感じで閉じてしまった。おそらく態度を諫める内容だったのだと確信する。
 

 
(後記、2020年9月記)(父の想い出)2018年の夏に帰省(8/11)した際の話はslingで。