magcupの日記

何でも引き付けるカップ、magcup

父の葬儀4(告別式)

告別式の際にも近所の方が一人見えられた。複数の香典を持って来られた方にはその分だけ香典返しを渡して貰った(この点についてはアークベルが受付に念を押したらしい。ありがたい配慮である)。S叔父が、「こう言うのは順番だからね、順番通りならば仕方がないものだ。つらいのは順番が入れ替わったときだな」。Sちゃんがすかさず、数十年前に亡くなった母親のことに関して「あんたなんかなにも辛くないわね、せつねかったのはおばあちゃんだて。まあ(当時)あんたが居たから(祖母は)大丈夫だったけどね」
式は、壇払い法要(三十五日法要、蝋燭が白から赤へ変わる)が済んでから出棺。以前のメモで初七日法要と記したことがあったような気がするが、初七日は家に住職が来られて行うらしい。
火葬については、今回は火葬場が近いので、お斎の前に出席者全員でバスで向かう手はずであったが、自分の近親者はそれに慣れていない(骨上げする者のみが火葬場へ向かうのが通例だった)ので、来るものが少なかった。お斎には出ない従姉妹三人が直接、車でお別れに来た。父を見送ってから式場へ戻り、お斎を始めてからしばらくして連絡が入るので挨拶して三人でタクシーにて火葬場へ向かう。タクシーは骨上げの最中は待機。骨上げは足元から始め頭の方へ、舎利骨は、係りの人がめざとく見つけて組み立ててくれたのを撮影。その舎利骨や残った歯(義歯は残らないらしい。残るのは自分の歯のみ)などを小さな布製の骨袋に入れ、他は大きな白木の骨箱に入れる。火葬証明書を骨箱の上に乗せて白い風呂敷で縛る。それと白木の位牌、遺影を持って再び式場へ戻る。


△仕事場からの花輪が4つも出た。O君に感謝。Kさんは弔電を送ってくれていた。

お斎のあと、礼参としてお寺に行き、御本尊(掛け軸)と、棺覆(棺にかけるもの)、お花、ろうそくを届け、初七日や四十九日(納骨)について相談。本堂でお経をあげて貰い終了。帰りに墓石の入り口(ロウソクを立てるところ)の石が動くかどうかを、自分で石を少しずらしてみて確認。石は結構簡単に動いて、孔も見えた。待たせていたタクシー(中型)に乗車して実家へ向かい、お骨や引き出物を置き、そそくさと帰京。

△お墓の手前の石(線香立て)は意外と簡単に動く

なお、アークベルの手筈では、実家に戻ってから礼参りの予定だったが、今日中に帰京するので、礼参を三時半に早めて貰い、斎場から直接向かった(自分でタクシーチケット利用)。しかし、持って行くものがかなり多く、タクシーを待たせて置けないと大変なことになる。これなら当初、アークベルに言われた通り、一旦自宅に戻ってから礼参すべきだったかも知れない。

初七日(12/29)は自宅、母親のみで住職を迎える予定。その後の七日毎の読経は無しに。四十九日も自宅で家の者のみで行うことにした。最初、2/9を提示されたが、おそらく仕事上の行事で行けないので2/16(土)にして貰う。通常、納骨は四十九日に行うが、寒い時期だとずらしても良いとのこと。また、それまでに塗りの位牌を用意して置けとの指示。お寺があっせんするかと思いきや、適当な仏具屋さんで頼んで下さい、とのこと。(後記)結局、アークベルが手配してくれることになった。年寄りにはその方が安心だろう。

△告別式から納骨までは白木の位牌。今回は俗名が入っていない。四十九日までに塗りの位牌を作るのだそうだ。楽天でも売っているが年寄りなのでお店に連れていかないとダメかと思っていたら、葬儀屋が手配してくれることになった。ありがたい。


(後記)2021年5月記、オトナンサーと言うwebサイトで「火葬場では通常、撮影禁止」と言う葬祭会社社長さんによる記事(2021、5/24配信)が出ていた。確かに、火葬場の入り口で「ここから撮影はご遠慮願います」と言われたような気がする。ただ、骨上げの最中(近親者数名)に、「お舎利様を撮られたらいかがですか」、と言ってくれたのは係員の人なので、それは他人のいない密室であったからなのだろうか。