magcupの日記

何でも引き付けるカップ、magcup

佃煮にも、もんじゃ焼きにも辿り着けなかった

80年代末のことだったと思う。
ふと、「佃煮って東京の佃島が発祥なのかな」と言う話になり、日曜日にでも行って見ようということになった。「月島も近くだからついでにもんじゃ焼きも食べられるかも知れない」などと呑気に考えていた。
当時はまだ、地下鉄大江戸線は出来ていないが、丸の内線から有楽町線に乗り換えて月島で下車すれば良いはず。
 
確かに月島駅までは無事に着いたのだが、さて地下鉄を降りてみると、辺り一面、薄暗い工業地帯のビル街のような、寂しい雰囲気。
通りすがりの人に聞こうにも、もう夕暮れで、通りは車ばかりが行き交っており、道行く人もあまりいない。
結局、佃煮にも、もんじゃ焼きにも全くリーチできず、すごすごと帰った思い出がある。
歩き回った範囲では商店街やアーケードも全く目に入って来なかったので、きっと駅から出る際、「何もない方の出口」に行ってしまったのだろう。
当時は、今ほどもんじゃ焼きは世間でブームになってはおらず、駅にも看板などなかったし、もちろん、「もんじゃ焼きストリート」などと言う言葉さえ出来ていなかった。
 
今、地図を見ると、大江戸線月島駅は「もんじゃ焼きストリート」とかなり近い位置にあるので、もし開通後に行っていれば見つけられた可能性もあるだろうと思うと残念でならない。
 
 
GoogleMapはおろか、一般用の携帯電話も存在してなかった頃の話である。
magcup.hatenablog.jp


(後記)

「佃」は北側、もんじゃストリートは南側である
何と、有楽町線新富町を突っ切って月島まで来るのは1988年だった。と言うことは地下鉄の無い頃だったのだろうか。もしそうならどうやって行ったのだろう。都内からバスに乗車したのだろうか。いや、やっぱり、有楽町線が開通したあとだっただろうか、、思い出せない。