magcupの日記

何でも引き付けるカップ、magcup

(父の想い出)祖母のお見舞い

昼頃、実家(IKRSH)から電話、祖母の具合が悪いとNKKDから電話が入ったとのこと。深刻そうなので三人で行くことにする。日帰りできるとして出発。連休なので普通車は満席でグリーン車を三人分取った。駅でIKRSHと待ち合わせてKD病院へ向かう。就寝中というよりは既に意識不明と見受けられた。手を握ったり、呼びかけたりしてみると少し反応がある。いつも飴をくれるので、「飴を貰って行くよ」と言ってみた。口を開けているのが不安であったが、それはNKKDも心配済みらしい。もし復帰できれば歯医者を呼んで洗浄して貰うとのこと(主治医、Yadaさん)。主治医は回復させると言っているらしい。
70歳を越えたKちゃんは「もしかすると最期かもしれないんで、私《Magcup》が来てくれて本当に良かった」と言っていた。
点滴や服やおむつを外してしまうので、手袋をさせられていたが、最近はこういうのも承諾書をとらされるらしい。家でもそうだったとのこと(後記 この「家でも」と言うのは父のセリフであり、つまり、実家1で1980年に亡くなった、父方の祖母のことだろう。)。

その後、NKKDに寄って枝豆やケーキをご馳走になった。そもそも、Sさん(Kちゃんの奥さん、こちらもおそらく70近い)が、工場で仕事中にアキレス腱を切ってしまい入院したために、短期デイケアに入所して貰ったところ食べ物を一切受け付けなくなったのが発端だそうだ。回復しがけのSさんと孫(次女K)とが、豆や煮物のおかずを持って行くと一口二口食べるのだが、他は一切だめだったとのこと。環境が変わると一般におかしくなりやすい、と、元看護婦の義母(父の再婚相手)も言っていた。
ひ孫のSZKちゃんと馬乗りをして遊んだあと、IKRSHに泊まることにして父親の運転する車で戻る。家の前のセブンイレブンで、ある程度の宿泊用品を購入、それでも足りないので、マックスまで再度、車を出して貰った。翌朝、PCで新幹線の予約を入れて、それをすぐに伝えたのだが、やはり前日に伝えないと起床時間の算段がつかぬようで、片付けが間に合わんと義母(父の再婚相手)が爆発しかかった。逃げるように帰京。

【後記】NKKDにお見舞い渡すの忘れた、、、。


確かに一時期は少し話が出来るまでになったらしいのだが、半年後、、、。
magcup.hatenablog.jp


(後記)2005年10/31(木)に実家(父親)からのメールが来ていた。

magcup殿
お父さんです過日はご苦労様でした。
今日お婆ちゃんのお見舞いに行ってきました。
此方の呼びかけにも反応し、顔色も良くなったように思われたが
先日、主治医から家族に病状説明があったようです。それによると
『肺炎を併発しており衰弱も甚だしく後は時間の問題・・・・・・・・・・』と
言われたそうです。一応知らせておきます。