magcupの日記

何でも引き付けるカップ、magcup

新潟行き、四十九日法要と納骨の相談

実家1の家で執り行った。当日2/16土曜日、なかなか和尚さんがいらっしゃらないのでちょっと心配したが、結局、十数分遅れていらした。
おそらくバスで来られたのだろうと推察。
 
家では義母(亡父の再婚相手)が応対して、挨拶だけ。お茶くらい出せば良いのにと思った。
次回からは「我々が淹れるから」と言うべきか、と思案したものの、今後再び、方丈様が家に来られる機会は二度とないとも思った。
まず、袈裟に着替えられ(その間、我々は仏間から出ていた)、四十九日法要が始まった。一時間近くの読経。途中で焼香もあった。自宅用の焼香炉が置いてあったので、和尚さんが持っていらしたのかとも思ったが、そうではなく、アークベルの祭壇セットに入っていたらしい。
 
白い灰(炭を置く)、香炭、白檀、の一揃えであるが、素人には使い方はわからない。いつの間にか炭に着火され、また法要後、いつの間にか消えていた。読経中、袈裟が香炉にかかって焦げやしないかと余計な心配をした。

自宅で四十九日法要した際の焼香炉(アークベルが手配)
 
四十九日の読経が終わったあと、さらに仏壇にもお経を上げていただき、お布施は3万円包んだ(全て義母が払った)。
その後、方丈様は再び着替えられ、お茶とお菓子を差し上げていろいろご相談。今度は我々の方で二杯目まで出してあげられた。
納骨の日や、戒名の意味、持って行くもの、などを聞いた。
納骨式に持参するものは、骨壷(大小2つとも)、卒塔婆(小さな卒塔婆が七本並んでいるセット、自宅に置いてあった)、白木製の大きな位牌、遺影写真、本堂に供える供物、本堂用お花(これはお寺に依頼した、 (後記)結局、アークベルが手配した)、お墓用のお花、線香。
費用も伺った、2(ご仏前)+1(お布施)+2(納骨料)で五万だとのこと。
 
(後記、メモ、骨壺のフタの裏についている火葬証明書を忘れぬように)。
あと、神棚封じ(神棚の前にかかっている白い紙)は、もう、解いても良いとのこと。
 
お骨箱の小さな方について、以前、母と父方の祖母の二つの遺骨を携え、本山である京都の知恩院に、自分独りで行って納骨したことをお話すると、少し驚かれたようすだったが、今は、自宅でも菩提寺に置いても本山へ持って行っても、どちらでも良いとのことなので、ゆかりの深いこちらのお寺の方に両方とも入れていただくことにした。

納骨式は十一時読経開始とのことなので、荷物を持ってお花を買って、早めにタクシーを拾う必要がある。
おときは、義母の方でアークベルに頼んでくれるとのことなので一安心。それも斎場ではなく、お寺に近い中心部の料亭でやってくれるとのこと。一覧表を見せられたと言うのだが、I亭やN茶屋は入っていなかったそうで、どうなるかは不明。
誰を呼ぶかについてもM家の方は母親が連絡してくれるというのでこれも一安心。こちらの方の名前の一覧だけ、さっと書いて渡した。
M家の方は、NGOK2+2、KMD2(+1、遠いのでおそらく来ない)、MTHM1(+2はおそらく来ないだろう)。
義母が「MTHMは一人だけで他の二人はおそらく来ないな、あんなに可愛がってたのに、、」と言っていた。年寄りとは言え、案外しっかり観察しているものだ。
Y家の方は、N津(おそらく来ない)、NKKD(1)、東大畑(2)、弁T橋(2)、幕張(1)、溝ノ口(2)と言うことで、最大で我々を入れて20人程度になる。Y家の方だけ自分が連絡すれば良いとのことで、だいぶ楽になったがそれでも大変。

それから、NTTの電話回線の名義変更に戸籍と死亡通知書を送れ、と言われているそうなので、戸籍のコピーを取ってやって帰宅。これも、自分のことが書いてある二枚目だけで良いと言うのを、二枚目には父親の名前が記載されていないので、一枚目から必要だと言うのを納得させるのに何分か要した。

(後記)翌日の日曜日に電話。NKKD1、西大畑2、弁天橋1、幕張1、溝ノ口2、で合計7名。と言うことになった。さてどうなるやら。義母(亡父の再婚相手)、果たしてアークベルとの交渉が出来るのだろうか?


(別記)
帰宅してから、義母がアークベルの人、ほりかわさんと相談していたと言う話から、昨年末の葬儀を取り仕切ってくれた、頼りになる一級葬祭ディレクタこやまさんのことを思い出し、名前で検索すると、何と地元の中高生向けの職業教育誌(2014年版)にカラーグラビアで登場していた。当時は未だフュネラルアドバイザの肩書きであったが、きっと会社でも期待の星なのだろう。