magcupの日記

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父の葬儀9-S叔父と話したこと

自分が子供の頃、亡くなった母親の親族から「あの土地は(お前の)ママが自分で買ったものだから」と良く言われたものである。母親は節約家だったので、必死に家計を切り盛りしたことを示唆しているのか、とずっと思っていたのだが、父の葬儀でS叔父と話してどうやら違うような気がして来た。
ただ、S叔父自身は全く覚えておらず、何回聞いても単に上記の「あの土地は(お前の)ママが自分で買ったものだから」と言うセリフを繰り返すだけであった。彼と話しているうちに、母親が結婚前の話として良く聞かせてくれたことを思い出した。

(母親の生前の口ぐせ)
市場でいろいろなものを売って儲けた。何を売っても飛ぶように売れた。家(実家)はお前もわかるように裕福で、金の価値なんかわからなかったが、札束が面白いように転がり込んで来た。売れれば面白いから一生懸命商売した。その札束を持って、弟のSと一緒に空き地を歩き回って「この土地買おうか」と何回も話したもんだ。実家のおじいちゃん(母親の父)は土地なんか興味なかったから買うまでには至らなかった。そうしているうちにあっという間に土地は値上がりしてしまった。

これを何回も聞いているうちに、昭和三十年代前半のインフレで、市場で儲けた金などあっと言う間に価値を失ったとずっと思い込んでいた。しかし、実際は、お金はある程度の価値を保っていたのではないだろうか。実は市場の儲けは相当あって、その「札束」を持参金として結婚し、結婚生活でも使わずに残してあったのではないだろうか。そのお金で昭和四十年代にI町に土地を購入したと言うわけだ。

なお、市場での商売については、Kちゃんの奥様(S伯母)からも聞いている。「知っている人も多いのに全く嫌がらず恥ずかしがらず一生懸命商売していた」そうで、そんな振る舞いが父親の実家(K家)の姑の耳に入り縁談が持ち上がったとのことだ。


【後記】納骨式(法事)の際にS叔母と話したところ、市場での儲けなど微々たるもので、Kタイヤ(タイヤ販売ショップ)での給料を貯めたのだろう、と言う話だった。自分も一度だけ手伝いをしていたことがあるが、かなり繁盛しており、ラジオの広告まで打っていた。確かに母親は、市場での商売では「札束が手に余るほど儲けたけれど、どんどん物価が上がって消えてしまった」と言っていたような気がする。
注)札束と言うのはおそらく百円札だろう。
  

(後記)2022年8月記、再度訂正。土地を買ったのは昭和47年で、河渡タイヤに勤務していたのはもっと後の昭和50年代である。
それまでも実家に勤めていたのだが、一体何をしていたのかは分からない。雑用とご飯炊きと車の運転、だろうか。
昭和40年代前半、自分がもっと小さい頃、母親と一緒に母親の友人宅を訪ねた際、「実家にご飯炊きに行っている」と話していたので、それをそのまま、自分の友人の家で話した、と言ったら激怒されたのを覚えている。本人と親しい友人に対して言うのは良くても、あまり知らない人に言うのはまずいと言うことか。