magcupの日記

何でも引き付けるカップ、magcup

(父の想い出)イタリア軒の隣り

日帰りで墓参りに行くことになった。父は既に08年に車の運転を止めているのでおそらく寺の前で待ち合わせしたのだろう。
善導寺には二軒、家の墓と母方の実家の墓がある。
まず、本堂で御挨拶し、お金をお渡し(正確には何というのだろう、盆礼だろうか)したあと、墓の方へ行き、自分の家の墓で読経して貰い、お布施を渡した。
もう一軒の方はよろしいですかと聞かれたが、いいですと答えていた。以前にSちゃんとお参りに来たときは「半分ずつお願いします」とか言ってのけていたのを思い出した。
 
Kちゃんの新しいお墓を見て行こうと言うことになったのだが、未だ完成していないらしい。連休明けくらいに家紋の詳細を電話で聞かれたので、まだ、作製中なのだろう。
そのあと「二郎ちゃん」(種二郎、大正7年11月15日生)のお墓をお参りすることになった。
雨が降ってきたので、タクシーをつかまえたものの、五人は乗れなかったので、自分たちは歩くことにした。
イタリア軒のすぐ手前の宗現寺である。
数年前に息子の芳寛さんがお寺を移して、その際にお墓も一つにまとめたらしい。
前のお寺では二郎ちゃんのだけ、天を衝くような高い墓石だったのだけれど。
雨の中で拝んでいたら、40年以上前に明治生れの祖母が毎日言っていた口癖をまた思い出した。

二郎ちゃんは、人がいいから、みんなにおだてられて伍長にさせられて、軍刀を振り上げて、進め―進め―って言いながら先頭を歩かされて、真っ先に弾に当たってあっという間に死んでしもた。
お前はおだてられても、決して調子に乗らねで、他人の後ろにじっと隠れてんだよ。

 
ガダルカナル島で戦没した大叔父について、父方の祖母の口癖がどこまで本当であるかは今となってはわからない。しかし、少なくとも祖母の心情はそのようなものであったということだ。日露戦争開戦の年明治37(1904)に生まれた祖母は、日頃、「日本は、日清日露で勝った勝った、と頭に乗ってた。だからその後ひどい目にあった」 と口癖のように言っていた。本人は提灯行列を目の当たりにすることはなかったにしろ、後から身の回りの話として聞いていたのだろう。
 
持参モバイルは、通話とメール用のWillcom nine+、そしてデータはN8とHybrid-zero3だ。Hybridは最近、低速無線ルーターとしてしか使っていないが、N8との相性は非常に良い。ちなみになぜかE6とは犬猿の仲であるらしく、繋がらないことが多々ある。